フィリップ・モデルは、1956年にフランス・ブルゴーニュの街、サンスで文化愛好家の裕福な家族に生まれました。 彼の父親は皮革製品の分野で重要な会社を所有していました。そして優雅さと洗練さの素養を持つ母親、ジャクリーンによって小さなフィリップは芸術に出会います。物心つく頃から刺激的かつ、文化的環境に身を置ことになった フィリップは 幼い頃からデザインに情熱を燃やし、12歳の頃にはすでに靴と帽子の最初のモデルを作りあげていました。
わずか22歳でフィリップはブランドを立ち上げます。 ジャンポールゴルチエ、クロードモンタナ、映画スターに最も愛されている帽子の作者 ”ポーレット” など、フランスのファッション界で最も重要なクチュリエ達と仕事を始めたのは1978年の頃でした。 PHILIPPE MODEL〈フィリップモデル〉の作品は、創造性と専門知識の完璧な出会いを果たし、1981年にはフランス文化の最も優れた継承者にふさわしく、最も優秀な技術を持つ職人に授与される称号 ”MEILLEUR OUVRIER DE FRANCE” を受賞することになります。
彼のデザインとモノづくりへの探求は更に新しい出会いを求め、イタリア・ヴェネツィア 近くのブレンタ地区にある伝統的な靴職人の一家へしばしば訪れることとなります。そしてそこでは至高のクラフツマンシップと出会い、更なる進化を果たすのでした。1980年代初頭、彼の革新的なデザインの象徴でもあるエラスティック素材を使った靴がお披露目され、 注目を集めます。エラスティック製のシューズは革命的な快適さを足元にもたらし、その後スニーカーという製品を経て現代の靴の源になっていきます。
フィリップ の妹である ローレンス は、モデルとして活躍し既にファッション界のミューズとして認知されていました。当時有名なファッションハウスを経営し上流社会の主要人物との交流を持っていた彼女は、フィリップの良きアドバイザーとしてに彼をサポートしていきます。サルバドールダリが滞在するのが好きだった” ルムーリス" のロイヤルスイートで行われた彼のコレクション発表は、演劇公演を行うようなスタイルでキャラクターが作品を身に着けるプレゼンテーションが話題となります。
ショーの演出家としても有名になったフィリップは様々な演出に関するオファーを受けると共に、彼のインテリアデザインへの情熱が始まる瞬間となるのでした。そんな多忙な日々を送る中でも湧き上がるシューズデザインはとどまることを知りませんでした。感度の高い顧客達と新たに出会い、触れ合うことでフィリップのデザインはより洗練されたものへと進化していきます。1990年代初頭には、自身のブランドのトップとして、シューズにとらわれないコレクションも発表。そして同時に名立たるメゾンの芸術監督も務めていきます。当時フランスファッション界の中心にいた、イネスデラフレッサンジ、ランバン、ケンゾー、ディオールなどの芸術監督を務めます。
高級メゾンやファッションハウスが情熱と期待を込めたコレクション発表のプレゼンテーションの陰には、常にフィリップのアイデアとセンスが介在していました。国際的にもフィリップの活動は認められ、彼の作品の一部が現代アートの雄、ニューヨークのメトロポリタン美術館に展示されることになります。さらにはオーストラリア国立美術館、およびフランス、オランダ、スペインの主要な美術館のコレクションに彼の作品が加わったとき、彼の芸術家としての成功はピークに達しました。
そして彼の街パリでも、フランスファッション界におけるこれまでの活動と海外での素晴らしい評価が称賛を持って迎えられ事となります。翌年にはフランスファッション界に功績を残したフィリップを讃えるため、カルティエ現代美術財団が主催する展覧会「PHILIPPE MODEL〈フィリップモデル〉シーンドモード」が開かれ、彼に捧げることになりました。